夕暮れの帰り道。
        背後に感じた視線と足音に振り向くと、そこには彼女の姿があった。



        「あれ?神谷さん?」



        ごく自然な調子でそう言いつつも、心の中では快哉を叫んでいた。








     告白    剣心ver.









        「奇遇ですね、緋村先生」
        そう、奇遇。奇遇と思ってくれたならばありがたい。
        俺は剣道部の不定期コーチで先程稽古が終わったところで、だからこんなふうに帰り道で偶然出くわすことはじゅうぶん有り得ることで・・・・・・うん、是非
        ともそう思ってほしい。

        「神谷さん、家こっちなの?」
        「あ、はい・・・・・・緋村先生も?」

        「うん、そうだよ」と、頷いておいた。
        嘘はついていない。普段はこの道を使ってはいないし遠回りにはなるけれど、このコースで帰れないこともないし。
        彼女の家がこちらの方だということは知っていたけど、あえて訊いてみたのはまぁ自然な話の流れというかなんというか。何故彼女の自宅の方向を知って
        いるのかというと、それはちょっと調べさせていただいたというか。いやでもこれはストーカー行為などでは断じてない。ただ、今日この帰り道、彼女に会え
        ればいいなぁと思ったからで―――


        「沢山もらったんですね」
        ・・・・・・そうだよな、やっぱりそう来るよな。
        歩くのにつれてがさがさと音を立てて自己主張する紙袋。中に入っているのは、一日早く頂戴したバレンタインのチョコレートだ。
        「あー・・・・・・うん、おかげさまで」と、笑って答えてみたものの、一番欲しかった相手からは、まだ貰えていない。
        「まぁ、たまに学校に来るコーチのおじさんって、きっと渡しやすいポジションなんだろうな。最近のバレンタインって、そういうお祭りみたいな感じなんでし
        ょう?」
        彼女は「緋村先生がおじさんなわけないでしょう」と、すかさず否定してくれた。ああ、いい子だなぁほんとに。

        「でも、そうじゃない子もいるんじゃないですか?もっと、真剣な想いで渡してくれた子も」
        「・・・・・・そうなんだろうね」


        たしかに、お祭りイベントのノリで「いつもありがとうございまーす!」と元気いっぱいで渡してきた子たちもいれば、決死の覚悟という思い詰めた表情で
        「わたしの気持ちです」と、手作りとおぼしきチョコを差し出した子もいた。そして大変申し訳ないのだが、その子にはただただ謝罪するしかなかった。それ
        が自分なりの誠意のつもりだった。

        「・・・・・・だから、せめて貰ったものは全部自分で食べないとね。甘いものは嫌いじゃないからいいんだけれど」
        そう言って、ちらりと隣を歩く彼女を見やる。視線を足下に落とした彼女の顔は、不機嫌なようにも困っているようにも見えて―――なんというか、表情が
        読めない。
        もしかして、ひょっとして、ここで「遅くなっちゃったけれど」「ちょっとタイミングを逃しちゃって」みたいな感じに彼女が切り出すのではないかと淡い期待を
        抱いたのだが、そんな気配もなく。
        だから、つい、「それにしても、早いものだね。もうすぐ年度末だなんて」と話題を変えてしまった。我ながら、呆れるばかりの意気地のなさである。

        「わたしも、もうすぐ2年生です」
        そう返した彼女は、どことなくほっとした様子だった。これは、どういう意味なんだろう。
        「春休みもあるから、一年生でいられるのは、実質あとひとつきちょっとなんですよね」
        「ああそうか、春休みか・・・・・・うらやましいなぁ」
        それは本気で羨ましい。子供の頃に「夏休みや冬休みや春休みもなしに働き続けるなんて、おとなって凄いなぁ」と思った記憶がある。でも、今となっては
        子供の頃の自分が長い長い休みをどんなふうに消費していたのか、ほとんど覚えていない。
        彼女はまだ、長い休みを享受できる立場にいる。そんな些細なことからも、彼女との年の差を実感してしまい、胸がざわつく。



        「年度内に、また部活には来られそうですか?」
        「うん、卒業式の前に、もう一度覗きに来いとは言われてるけど。俺がコーチに来るようになった年に新入生だったのが、今の三年生なんだよね」
        そう、三年前。大学を卒業して就職をして暫く経った頃に、「たまにでいいから、コーチに来られないか」と顧問の先生に頼まれた。仕事のペースも掴め
        てきて、気持ちに余裕もできてきた頃だったので、ふたつ返事で引き受けた。

        最初の二年は、何事もなく過ごすことができた。
        しかし、三年目の春。新入生として入部してきた、彼女と出会った。


        そして―――驚いた。
        まさか自分が、ひとまわりも年下の少女に恋をしてしまうだなんて、思ってもみなかったから。


        最初の二年間は、当時の在校生も新たに入学してきた生徒たちも、ただ「初々しくて元気で賑やかな教え子たち」としか感じられなかったのに。年の離れ
        た少女たちはなんだかもう自分とは違う生き物のようで、恋愛対象として見ることなんて考えもしなかったのに。

        それなのに、彼女だけは別だった。
        きらきらした笑顔や、はきはきした物言い、竹刀を持ったときの、美しい姿勢と面越しの力強い眼差し。彼女の表情ひとつ、言動ひとつが、他の女生徒
        たちとは全然違って見えてしまって。

        気がつくと、彼女を目で追ってしまって。視線が合うとどぎまぎして、言葉を交わせると嬉しくて。
        でもそれは、決して表に出してはならない感情で。


        「感慨深いですか?先輩たちが卒業するの」
        「そうだねぇ。感慨深いし、時の流れの速さにびっくりするかな。俺がたまにしか来ていないから尚更そう感じるのかもしれないけれど、三年間なんてあっ
        という間だなぁ、って」
        たまにしか来ていないのは事実だ。しかし、正確に数えているわけではないが、今年度は今までよりマメに顔を出していたような気がする。それは彼女に
        会いたいという不純極まりない理由があったからで―――いや勿論、コーチ面では例年と変わらず、どの生徒にも公平に接していたつもりだが。

        どの生徒にも、といえば、彼女は誰からも慕われていて上の学年の子たちとも親しくしていたから、先輩たちと別れるのは寂しいだろうな。そう思って、「少
        し寂しいけれど、我慢しなくちゃね」と言ったら、彼女は「え?」と目を大きくして聞き返してきた。ああしまった、ちょっと言葉足らずだったかと思い、「神谷さ
        ん、二、三年生の子たちとも仲いいもんね。先輩に会えなくなるの、寂しいんじゃない?」と、付け加える。
        「あ・・・・・・そうですね、遠くの大学に行っちゃう先輩もいるし、今までみたいに簡単に会えなくなるのは・・・・・・寂しいです」
        「でも、春には新入生が入ってくるから。きっとまた、いいメンバーが揃うよ」
        「そうです・・・・・・ね」


        そう、4月には新入生が入学してきて、彼女は二年生に進級して。
        あと三回春が来るのを待てば、彼女も卒業を迎える。

        実質、あと二年だ。
        二年経てば、俺と彼女の立場と関係は「コーチと教え子」ではなくなるんだ。
        きっと俺は、二年先までこの想いをなくさず抱え続けることだろう。いや勿論、二年後に彼女に好きだと告白したとして、それが受け入れられるかどうか怪
        しいものだけれど、それでも―――



        「―――せんせい!」



        突然、立ち止まった彼女が大声を放った。
        何事かと驚いていると、彼女は「ちょっとここで待っててください!すぐ戻りますから!」と言って地を蹴った。
        何が起きたのかわからぬまま、ダッシュした彼女を呆気にとられて見送ったが―――駆け込んだのは、道の先にあったコンビニである。

        待っていてと言われたがそこで立ち尽くしている気にもなれず、とりあえず、すぐに彼女の後を追った。コンビニのガラスのドア越しに見えた彼女は、既に
        レジに向かうところで、その手にあったのは―――


        ・・・・・・え?
        ひょっとして、あれは。


        会計を済ませた彼女が、ひらりと身を翻して店から飛び出してきた。
        稽古で相対するときのように、真っ正面から目が合う。

        真剣な光が宿る、黒い瞳。
        それは試合前に彼女が見せる表情に似ていて。その力のこもった眼差しはとてもきれいで―――



        「・・・・・・好きです!」



        びしっと。正面から一本打ち込むように手が伸びて、買ったばかりのチョコが差し出された。



        って。



        って・・・・・・ええええええ?!



        まさか、そんな。今日はバレンタイン前日で大勢の教え子からチョコを貰ったけれど、義理でもいいから唯一心から欲しかった彼女からは貰えなくて正直
        かなりへこんでいて。
        部活の帰りに半ば待ち伏せるかのようにこの道を選んで歩いたのは、ばったり出くわした彼女から「実は渡しそびれちゃって」とか言われたりするそんな
        奇跡が起きないだろうかと、一縷の望みを託していたのだけれど―――まさか、まさかの、その奇跡が起きた。でも、どうしてまた、こんな突然・・・・・・?!



        「あの、実は、ほんとは用意してたんです、チョコレート」
        「・・・・・・え?」
        「感謝チョコとか義理チョコとか、そういうイベントみたいなノリに思われたくなくて、手作りしたんです、緋村先生へのチョコ」
  
      「・・・・・・え?」
        「ほんとは今日、それを渡すつもりだったんですけど・・・・・・失敗しちゃったんです・・・・・・」


        予想だにしなかった展開に呆然となる俺にむかって、彼女は懸命に「言い訳」を語る。
        チョコマフィンを作るつもりが黒焦げにしてしまったこと。そんなのを渡したくなくて、でも市販のチョコを贈って義理と思われるのも嫌だと思ったこと。だか
        ら、チョコを渡すのをあきらめようとしたこと。
        そんな、嬉しくて可愛すぎる言い訳を。

        そうか、そうだったんだ。
        「義理でもいいから神谷さんからチョコを貰えますように」なんて奇跡を祈っていたけれど、たった今起きたこれは、そんな願いをはるかに上回る奇跡だ。
        だって、まさか、君も俺のことを―――

        「でも!今ふたりで歩いているうちに、どうしても渡したくなって。これから先もずっと一緒にいたいなと思って、先生にとってそんな存在になれたらいいなと
        思って・・・・・・いえっ、告白したってふられるだろうけれど、それでも言わないまま来年のバレンタインまで待つのも嫌で、だから・・・・・・」
        「ありがとう!」


        嬉しい言い訳を、このまま聞き続けてもいたかったけれど、早く感謝の言葉を伝えたいという気持ちが勝った。それと、きっと君と同じ時間―――この一年
        近く抱えてきた想いを、早く言葉にしたかった。
        「え?」
        「本当は、俺のほうから言いたかった。言いたかったけれど、立場上、それは絶対にしちゃいけなかったから」
        「・・・・・・え?」


        あと二年、我慢しようと思っていた。
        二年後、君が卒業して、晴れてコーチと教え子という関係ではなくなったら、そうしたら君に好きだと言おうと思っていた。
        でも、まさか今日、君からこんな告白を貰えるだなんて―――

        「本当は、それでも我慢しなくちゃいけないんだろうけれど・・・・・・でも、ありがとう。嘘みたいで、嬉しくて、だめだ。我慢できないから、言うよ」
        「え、あの・・・・・・言うって、何を・・・・・・?」


        差し出された手から、チョコレートの箱を受け取る。
        そして、君の目を真っ直ぐに見つめる。




        「俺も、神谷さんが好きです」




        ・・・・・・ああ、言えた。
        予定より二年早くなってしまったけれど、君に先を越されてしまったけれど。でも、今こうして伝えられるのは、君のおかげだ。
        だから、君に負けないくらい、ただまっすぐな言葉で想いを伝えた。ああまさか両想いだったなんて夢みたいだと思いながら。

        しかし。
        大きな目を更に大きくして、俺の告白を耳にした彼女は次の瞬間―――予想外の言葉を叫んだ。



        「・・・・・・嘘―――っ!!!」



        ・・・・・・・・・え?



        「嘘!嘘よー!そんな夢みたいなことあるわけないじゃないですか!」
        「え、いや、確かに俺も夢みたいだと思ったけれど、でもどうして嘘だなんて―――」
        「だって!緋村先生は大人で強くてかっこよくてみんなの憧れの的で、そんな先生がただの一生徒のわたしのことを好きだなんて、そんなの嘘ですよ!
        ありえないですよー!!!」
        「いや!ありえなくないし俺だって驚いたんだよ?!今日は神谷さんからチョコ貰えなくて落ち込んでいたら、こうして今貰えてすごく嬉しくて、しかも義理
        じゃなくて本命チョコだなんて・・・・・・」
        「でも、わたし緋村先生よりずっと年下で!先生からしたら高校生なんて全然子供じゃないですか!わたしなんかが先生の恋愛対象になるわけないじゃ
        ないですかぁぁぁぁ!!!」

        う・・・・・・うわぁぁぁぁこれはだめだ全然信じてもらえてない!せっかく!せっかく告白できたというのに!
        予想外の反応だが、でもたしかに彼女の気持ちも理解できなくもない。だって、もし立場が逆で俺が現役高校生だとして、ひとまわり年上の女性教師か
        ら告白されたとしたら、まずは「嘘だありえない」と思ってしまうことだろう。

        でも、俺のこの気持ちは嘘じゃない。
        どうしよう、どうしたらいい?事実を受け止めきれず混乱している君に、信じてもらうためには―――



        「わかった!ちょっと待ってて!すぐ戻るから!」



        ひとつの閃きを頼りに、俺は目の前のコンビニに飛び込んだ。今の時期一番目立つ場所に配置されている、バレンタインのチョコの棚に直行する。
        そして、そのうちの一個に迷わず手を伸ばし、レジへ走った。

        「・・・・・・これ!」
        すぐさま外に出て、待っていてくれた彼女に買ったものを差し出す。
        彼女は目をぱちくりさせて、しかし、おそらくは反射的に手を出し、それを受け取る。

        「あの、先生。これって・・・・・・」
        「今日告白するには、これが必要なんでしょう?」



        たった今買ってきて、そして渡したのは―――君から貰ったのと同じチョコレート。



        「手作りじゃないけれど、ちゃんと気持ちはこもっているから。神谷さんと同じで、ちゃんと本気のチョコだから」
        手作りではなく、たまたま通りかかったコンビニで買ったチョコだけれど、君がありったけの勇気と想いをこめて渡してくれたのと、同じチョコ。

        君と同じ、この「好き」という気持ち。
        たのむ、どうか―――伝われ、伝わってくれ!!!


        彼女は、手にしたチョコの箱と俺の顔とに、交互に視線を往復させた。
        その顔が、くしゃりと泣きそうな笑顔になる。

        「・・・・・・必要かもしれないけれど、今日は女の子からチョコを渡す日ですよ・・・・・・」
        ―――ああ、よかった・・・・・・やっと笑ってくれた。やっと、信じてもらえた。



        「仕方ないよ、神谷さんが嘘だって言うから」
        「だってほんとに嘘みたいなんですもん・・・・・・」
        「まだ信じてくれないなら、何度でも言うし何個でも買ってくるよ」
        「大丈夫です。もう、信じました」

        信じられないくらい嬉しいです、と。
        涙を滲ませた目を細めて笑う彼女は、とても綺麗だった。

        あああ、どうしよう。嬉しすぎてこっちこそ泣きそうだ。
        想いが伝わるということは、こんなにも嬉しいことだったのか。



        あまりに嬉しかったから、もう一度「神谷さんが、好きです」と言った。
        今度は、「嘘!」とは言われなかった。


        元気いっぱいに「・・・・・・はい!」と。君は、返事をしてくれた。










        ―――ところで、異様な勢いで続けざまに同じチョコを買っていった客ふたりは当然目立っていたようで、店のほうは「何事か」と思ったらしい。
        ふと、視線に気づいて店の方を見ると、様子を窺っていたらしいコンビニの店員さんたちが、にこにこ笑いながらガラス戸越しに手を叩いているのが見え
        た。その口が、「おめでとう」という形に動くのも。




        俺たちは揃って、今日の夕焼けに負けないくらい真っ赤になった。












        了。








        モドル。







                                                                                          2018.03.09