剣心と薫がばったり出くわした鶴尚の主人は、今日はひとりではなかった。優しげな細面の女性と、その女性によく似た顔立ちの幼い男の子を伴ってい
る。女性は、剣心と同じ年の頃といったところで、そうなると男の子は彼女の息子だろうか。
「まあ、よかった、よくお似合いですわ。やはり貰っていただいて正解でした」
「奥様の見立てのおかげです!こんな素敵なのを選んでくださって・・・・・・」
薫の礼に、女性は「いえいえ」と柔らかく微笑んだ。そして、薫の隣に立つ剣心に、改めて挨拶をする。
「この度は、主人がお世話になりまして、ありがとうございました」
おっとりした口調でそう言われて、剣心は首を傾げる。主人、とは。
「剣心、鶴尚の奥様よ」
薫に耳打ちをされ、剣心は慌てて「はじめまして」と会釈をする。そして、失礼にならない程度に、それでもかなりまじまじと、主人と奥方を見比べた。
矍鑠としているが、おそらく齢七十には手が届きそうな夫。
対して、せいぜい三十前後であろう若い妻。
どうみても、親子というほうがしっくりくる年齢差の夫婦。
と、いうことは、つまり。
「では・・・・・・あの、薫殿を嫁にというのは、ひょっとして」
視線を下に落とした先にいる、弥彦の半分くらいの年齢の子供。この子が―――
「もう、主人は本当に気が早くて・・・・・・この子はまだ五歳ですよ? そんなに焦ってお嫁さんを決めなくても・・・・・・」
「いや、何しろこの年で思いがけず授かった息子ですからな。自分に何かあった時のためにと、つい気が急いてしまうのですよ、お恥ずかしい」
と、いうことは。
先日から自分をやきもきさせていた「薫の縁談の相手」は、こんな子供だったというわけか―――
拍子抜けの感と安堵と納得がないまぜになって、剣心は狐につままれたような顔で夫妻の言葉を聞いていた。
「許嫁になっていただいたとしても、この子が大人になるまで何年も薫さんをお待たせするのは、流石に申し訳ないですわ」
「いえ!わたしなんかに勿体無いお話ですが、わたしには道場がありますので・・・・・・ね、剣心」
「えっ、あっ、うん、その通りでござるな」
ぶんぶんと無駄に何度も首を縦に振る剣心に、夫妻は顔を見合わせて微笑んだ。
「そのかわりと言ってはなんですが、この子がもう少し大きくなったら活心流に入門させてくださいな。立派に鍛えていただきたいわ」
「それは喜んで!わたしからもお願いします!」
妻と薫のやりとりに目を細めた主人は、剣心に向かって「断られても、諦めきれなかったのですよ」と話しかけた。
「え?」
「妻はああ言っていますが、私は断られた後もまだ諦めきれなくて、昨日はそれもあってお宅に伺ったんです」
「・・・・・・」
「しかしそこで、貴方から話を聞きました」
実のところ、剣心は想いの半分も、口に出してはいなかったけれど。
それでも、目の前にいる青年が彼女について話すのを見て聞いて、主人は悟った。
訥々と語る剣心の声と表情の端々からは、隠しきれない薫への愛おしさが、溢れていたから。
「それで、完全に諦めがつきましたよ。気持ちよく引導を渡して頂けましたな」
鷹揚に笑う主人に剣心はなんと答えたらよいのかわからず、見当違いであろうことは承知で「・・・・・・その、それはかたじけないでござる」と頭を下げた。薫
はそんなふたりの会話の意味が分からず、首を傾げる。
「さ、あなた、そろそろ」
「ああ、これは足止めをしてしまい申し訳ない。では・・・・・・」
「ではー!」
そっと促す妻に夫が答え、少年が父親の語尾を元気いっぱいに復唱する。
剣心も薫も挨拶を返し、自分たちが今来た方向へと歩き出す家族の背中を、しばらく立ち止まったままで見送っていた。
「まさか、あんな小さな子供とは・・・・・・」
ややあってから発せられたため息混じりの声に、薫はくすくすと笑いを漏らす。
「わたしも驚いたもん。六十五歳のときの子ですって」
「それは、また・・・・・・まぁしかし、感じのいい家族でござるな」
「うん、でもあの家族の輪に入るのは、わたしじゃなくてもいいのよ」
あの子供と近い年頃で、道場の跡取りでもない、料亭の女将が似合うような女性。
いつかきっと、そんなひとが現れるはずだから。
「大体わたしなら、あまりに姉さん女房すぎるでしょ」
「確かに。五歳と言っていたでござるな」
「あはは、流石にひとまわり下の旦那様は、ちょっとねぇ」
薫は声をたてて笑い、そしてふと、真顔になった。
「ひとまわり年上なら、全然構わないんだけど」
「―――え」
「さっ、そろそろ行きましょ!」
くるりと踵を返して、薫はすたすた歩き出す。
今の言葉の意味を考えるのに一瞬動きの止まっていた剣心は、一拍遅れて後を追う。
「薫殿、今のは」
「い、言ってみただけだからっ!気にしないで!」
喋りながらもどんどん早足になる薫。しかし剣心は難なく追いついて、彼女の顔を横から覗き込もうとする。
「そう言われても気になるでござるよ」
「何でもないってばー!ってゆーか、わたしのほうこそ気になってるんだけど」
「何がでござる?」
「鶴尚の御主人に、昨日何を話したの?」
「・・・・・・」
「あ!黙秘する気?!」
「うーん、そのうち教えるでござるよ」
「ちょっと、そのうちっていつよー!」
剣心は小走りに速度を上げ、薫を追い抜く。今度は反対に薫が追いかける側になった。往来で鬼ごっこをするかのように駆けるふたりに、周りの人々が不
思議そうな目を向けてくる。
「もう!わたしの悪口でも吹き込んだんでしょっ、白状しなさいっ!」
薫がまるきり見当違いの発言をするのが、可笑しかった。自然と、笑いがこみ上げてくる。
後ろから袖を捕まえられて、剣心は無理矢理振り向かされた。
「捕まえ・・・・・・」
た、と続けようとして、薫は言葉を途切れさせる。
言いさした口の形をそのままで、大きな瞳が剣心をじっと見つめる。
「どうかしたでござるか?」
「・・・・・・笑えるんだ」
「おろ?」
「剣心、そんな顔で笑えるんだ」
昨夜、「愛想がいい」などと評していたのと、矛盾する言葉。
けれど、剣心は薫の言いたいことがちゃんと理解できたので、素直に答えた。
素直に―――礼を言った。
「薫殿のおかげでござるよ、かたじけない」
「・・・・・・?うん、どういたしまして」
言われた方の薫は意味がわからず首を傾げたが、まぁ別にいいかなとなんとなく納得しておく。
―――だって、今の剣心の笑顔は、いままで見てきたなかでいちばん、無防備で朗らかな笑顔だったから。
感情を隠すための笑顔なんかじゃなくて、心の底から楽しそうな、混じりけのない笑顔だったから。
「・・・・・・それじゃ、行きましょうか。でも、さっきの質問には、いつか答えて貰うんだからね?」
「あはは、承知いたした」
そしてふたりは再び並んで歩きだす。
風はかすかに若葉が香り、空はどこまでも青い。
「まるで、夏の空みたいね」
呟いた薫の横顔がまぶしくて、剣心は目を細めた。
このまま、やがて来る夏を彼女の隣で迎えられるといいな、と。ぼんやり思いながら。
(結婚するって本当ですか? 了)
2012.03.12
モドル。