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        「どうせすぐに乱れてしまうのに」と、常々思っている三つ編みにも利点がある。
        彼女の背中を堪能しやすい、ということだ。




        積み上げた布団の上に上半身を投げ出し、うつ伏せになった薫の背中は、まだ震えるように小さく上下している。
        すっかり乱れてしまったがまだ形は保っている三つ編みを持ち上げて、首の横に流す。露わになった白い背中にはうっすら汗が浮かんでいて、そこに幾
        つも口づけを落としてゆく。情事のあとの彼女の肢体はとろんと力が抜けて柔らかくて、心地よい熱を孕んでいて、その身体のあちこちに接吻をするのが
        剣心は好きだった。


        「・・・・・・けんしん」


        布団に顔を押し付けたまま、くぐもった声で薫が呼んだ。背骨のくぼみを舌でなぞっていた剣心は、顔を上げて彼女の身体を抱き起こす。
        崩れかけた布団の山を背もたれにして、寄りかからせてやる。見上げてくる大きな瞳が涙で潤んでとても綺麗で、引き寄せられないわけがなくて。頬に貼
        りつく髪を剥がしてやりながら、頬にも額にも口づける。

        「・・・・・・見つけた、の・・・・・・」
        掠れた声を紡ぐ唇を唇で塞ぐと、薫は目を閉じて素直にそれに応える。交わったあとの舌は特別熱いように感じられて、絡めていると互いの境目が溶け
        合ってわからなくなるような錯覚に陥る。暫くの間そうしていたが―――やがて薫は、なかなか解放しようとしない剣心の肩を、「そろそろ喋らせて」という
        ように小突いた。
        「・・・・・・なに?」
        「ねぇ、剣心は、わたしがあなたを見つけたって言ったけれど・・・・・・そうじゃないわ」
        長い口づけの後、細く息を吐きながら、薫はそう言った。



        「やっぱり・・・・・・剣心が、わたしを見つけたのよ」



        近い距離で剣心の目を見つめながら、薫は花がほころぶように笑う。
        「・・・・・・え?」
        「だって、あの夜わたしが捜していたのは、あなたじゃなくて偽者の抜刀斎だもの。わたしは辻斬り犯を捜して、夜回りをしていたんだから」

        夜回りの最中、薫は偶然剣心と出逢った。彼こそが辻斬り事件の犯人だと思ったが、それは誤解だった。
        その後、薫を救けた剣心は、神谷道場に身を置くことになり―――
        「それに・・・・・・剣心は長い間旅を続けて、沢山の場所に行って、沢山の人に会ってきたんでしょう?でも、あなたは・・・・・・此処に、わたしのところに、とど
        まってくれたわ」


        長い間、旅をしていた。様々な土地を訪れ、様々な人と出会った。
        人助けをして、感謝をされることもあった。この地にとどまるよう請われたこともあった。けれど、結局どの地でも誰とも深い縁を結ぶことはなく、流れ歩くの
        を止めなかった。

        しかし、この街で薫に出逢った。お人好しで危なっかしい彼女のことが心配で、「ここにいてほしい」という言葉に甘えて、はじめて旅の足を止めた。
        そしてこの道場が、薫が、流浪人になってはじめて「ただいま」と言える場所になった。ここが―――大切なひとと生きる、終の住処になった。


        「あなたがここを、旅の終わりの場所に選んでくれたんだもの。それに・・・・・・」
        薫は手を伸ばし、剣心の頬に触れた。十字の傷を、優しくあたたかく包み込む。
        「あなたは、わたしを好きになってくれたわ。全部忘れてしまったのに・・・・・・もう一度、わたしのことを」

        薫の耳に、少年の日の剣心の言葉がよみがえる。記憶が消えても、想いは消えないと言ってくれた。ずっと、好きだと言ってくれた。
        そして、今ここにいる剣心は、離れたくない相手と離されたならば、捜すのは当然と言ってくれた。
        「わたしをずっと捜していたあなたが、わたしに辿り着いて、わたしを好きになってくれたのよ?それって・・・・・・あなたがわたしを『見つけた』ってことだわ」


        あの少年は、わたしに関する記憶のすべてを失ったけれど。
        でも、あなたは忘れてしまったにもかかわらず、まっさらな心でわたしに辿り着いて、恋をしてくれた。わたしたちは―――恋をした。



        「わたしを見つけてくれて・・・・・・ありがとう、剣心」



        心からの感謝をこめて、薫は言った。
        まじまじと彼女を見下ろしていた剣心は―――ふいに、くしゃりと顔を歪ませる。

        言葉に、ならなかった。
        急に、薫と出逢うまで、ひとりで彷徨っていた時間の長さが胸によみがえって、泣きたくなった。
        泣き顔を見られたくなかったから、彼女に覆い被さりぎゅっと抱きしめる。


        ずっとひとりだった。ずっと孤独だった。でも、それを辛いとは思わなかった。
        辛いと感じる資格なんて俺には無いと思っていた。だって俺はこんなにも罪深い人間だから。

        けれど、本当は辛かった。独りで生きることが、寂しくてたまらない時もあった。
        ただ―――それに気づかないふりをしていただけで。


        「・・・・・・見つけるまで、十年かかったでござるよ・・・・・・」


        十年、独りを耐えきれたのは、きっと俺のなかに君がいたからだ。
        記憶は消えてしまったけれど、君と過ごした時間は確かに存在していたから。君を愛した想いは、間違いなく俺のなかに残っているから。

        この国のどこかに、君がいる。いつか必ず、君に逢える。
        記憶はなくなっても、魂にきざまれたその想いは―――俺を、ずっと支えてくれていた。
        君に―――ずっと逢いたかった。




        「もう・・・・・・離さない」




        やっと辿り着いたのだから、もう、二度と離れたりするものか。
        祈るように、強く思いながら囁くと、薫は「わたしも・・・・・・」と答えて剣心の背に細い腕をまわした。








        ★








        「・・・・・・みっつめの事でござるが」




        布団に寄りかかりながら、抱きしめた薫の体温を感じていた剣心は、ふいに、思い出したようにそう言った。
        「・・・・・・え?」
        「薫殿が気になっていた、みっつめの拙者の『やりたいこと』。あれも、もう叶っているでござるよ」
        「・・・・・・ねえ剣心、やっぱりあなた、ほんとは全部覚えているんじゃないの?」
        薫は首を動かして剣心の顔を見ると、疑わしげにぐっと眉を寄せた。

        「だから、ほんとに覚えていないでござるよ・・・・・・でも、自分のことだから、考えることはなんとなく解るさ」
        そう言って笑うと、剣心は眉間から力を抜かせるように、薫の眦のあたりを指でくすぐる。
        「叶っているって・・・・・・いったい、どんな願いだったの?」
        不思議そうに尋ねる薫の頬を、剣心はふわりとてのひらで包み込んだ。そして、確信をもってその「願い」を口にする。



        「・・・・・・薫殿と、夫婦になること」



        薫の大きな目が、より大きく瞠られる。
        剣心はくすりと笑うと、掠めるように珊瑚色の唇に口づけた。

        「それ以外の願いが、あるわけないでござるよ。だから・・・・・・もう、叶っているでござろう?」
        薫は長い睫毛を何度かぱちぱちと上下させてから―――ふわりと笑顔になる。


        「・・・・・・ほんとだ、叶っているわ」
        「そうでござろう?」
        「それに・・・・・・わたし、ちゃんと教えてもらっていたのね」
        「え?」
        「昔の剣心に、最後に逢ったときにね・・・・・・剣心から、求婚されたの。新しい時代が来たら、一緒になってくれ、って」

        今度は、剣心の目が大きくなる番だった。
        「そっか・・・・・・あれがみっつめの、『やりたいこと』だったのね」
        明らかになった、ずっと気になっていた「最後のひとつ」。そして、「次に逢ったときに」という約束がちゃんと守られていたことを知って、薫は嬉しそうに頬を
        綻ばせる。しかし―――剣心は「なんだか、複雑でござるな」と難しい顔で呟いた。

        「え?何が?」
        「だって、拙者は薫殿に求婚するのに、出逢ってから一年近くかかったんでござるよ?それなのに奴はたったの一週間で・・・・・・」
        久々に自分のことを「奴」呼ばわりする剣心に、薫は可笑しげに笑った。
        「わたしたちにとっては、あれは一週間の出来事だったけれど・・・・・・過去のあなたにとっては、一年以上時間が経っていた筈でしょう?だいたい、自分自
        身に妬くこともないじゃない」
        剣心は「別に妬いてるわけでは・・・・・」と言いながら、薫の頭を引き寄せてかき抱く。


        確かに―――あの頃の自分は、薫に逢えないときもずっと薫のことを想っていただろうから、そこから「満を持して」の求婚だったのだろう。
        あの時代は、誰もが自分の明日に保証ができない時代だった。いつ死んでもおかしくない情勢下だったからこそ、愛しいひとと一緒にいられる瞬間に、告
        げられる想いは告げておかなくてはならなかった。そうでないと、告げる機会を永遠に逃してしまうかもしれないから。

        「・・・・・・薫殿は?今、やりたい事はなんでござるか?」
        とはいえ、なんとなく妬けることにはかわりないので、剣心は気持ちを切り替えるかのように薫に質問をしてみた。もうとっくに時代は新しくなっているが、
        と付け加えながら尋ねると、薫は「うーん」と一瞬だけ考えて―――すぐに、口を開く。
        「やりたいこととは、ちょっと違うかもしれないけれど・・・・・・はやく、剣心の赤ちゃんが欲しいな」
        抱きしめる腕を緩めて、剣心は薫の顔を覗きこんだ。なんとなく気恥ずかしくなった薫が頬を染めて目を伏せると、剣心も似たり寄ったりの反応をする。

        「・・・・・・ねぇ、剣心は?今のやりたいこと」
        「薫殿と同じでござるな。男の子と女の子、ひとりずつは欲しいでござるよ」
        薫が、「それも、叶うといいな」と柔らかく微笑むのを見て、剣心は彼女の手をとった。
        「・・・・・・剣心?」
        ぽすっ、と。再び布団に身体を押し付けられ、薫は怪訝そうに剣心を見上げる。


        「それと・・・・・・これは、たった今やりたいことでござるが」
        「え?」
        「もう一度、薫殿を抱きたい」


        直截的すぎる台詞に、薫の頬がぼわっと赤くなる。
        「・・・・・・あの、寝室、お布団敷いてあるから、そっちで・・・・・・」
        「ここでいいでござるよ」
        「で、でもっ・・・・・・あ、嘘っ、やだっ・・・・・・!」

        剣心はたたんで積まれた布団の山を崩して、一枚を畳の上に無造作に広げる。そこに薫を引き倒した。
        すらりとした脚の間に身をおいて、彼女の中心に指で触れる。戸惑いの声が、子猫が鳴くような甘い喘ぎに変わる。


        いつもいつもがむしゃらに君を求めてしまうのは、言葉だけでは到底追いつけない想いを、なんとかして伝えたいからだ。
        長い長い時を経て、こんなにも大きく育ってしまった想いを余すことなく伝えたくて。身体ごと君を愛することで、言葉では足りない表現しきれないもどか
        しさを、少しでも補なおうとしている。

        身体をひとつに重ねると、薫の瞳から涙がほろりとこぼれた。辛いのだろうかと彼女を案じながらも、離れるのが嫌で。剣心は涙がつたう頬に触れて、気
        遣わしげに顔を覗きこむ。薫の唇が小さく動いた。掠れた声が「大好き・・・・・・」と音を紡いだ。ああ、きっと伝わっている。剣心はその事に感謝しながら、
        彼女にそっと口づけた。




        あの夜、君が俺を見つけてくれた。
        そして俺は、ずっと捜し求めていた君を、見つけることができた。

        君とまた巡り逢えて、いつか君に語ったという願いはすべて叶ったから、これからは君と一緒に新しい願い事を叶えてゆこう。
        君と一緒に、家族を作って。君と一緒に、年を重ねて。ずっとずっと、ふたり一緒に生きてゆく。
        そんな―――ささやかだけれど何物にもかえがたい、願いを。





        「・・・・・・だから、もう離さない」





        もう一度、耳元でささやいた。
        薫は「離さないで」と答えるかわりに、必死に剣心の背にしがみつく。





        生まれてはじめて恋をしたひとを、そして最後に恋をしたひとを―――万感の想いをこめて、剣心はきつく狂おしく抱きしめた。














        I Found You 了。








                                                                                          2015.07.09







        モドル。