「どーも、長々とお世話になりましたっ!」
朝顔市の翌日の朝、いつもの格好の戻った操は、道場の門の前で深々と剣心たちに頭を下げた。
「ほんとに帰っちゃうの? なんだったらもうひと月くらいいて、赤ちゃんの顔も見ていけばいいのに」
「うーん、その提案は魅力的だけど、次に来たときの楽しみにとっておくね」
「じゃあ、次に来るときまでにお前の背を抜いておいてやるからな。それも楽しみにしておけよ」
見送りにやってきた弥彦が操とほぼ同じ高さの目線でにやりと笑い、操はあからさまに嫌そうに顔をしかめた。
「えー、それは全然楽しみじゃない。次に来るときまでに縮んでおいてよ」
「んな事できるか!」
「できるでしょ、上から降ってきた岩に当たるとか」
「殺す気かー!」
相も変わらずのやりとりを始めたふたりを尻目に、剣心はみっちり膨らんだ袋をひとつ、蒼紫に手渡した。
「・・・・・・何だこれは」
「餞別・・・・・・と言いたいところだが、残念ながら。中身については操殿がよく知っているでござる」
耳に入ってきた会話に反応し、操は弥彦と小突き合うのをぴたりとやめた。おそるおそるそちらを見ると、蒼紫が手にしているのは、東京に来る途中に操
が手にしていた袋のうちのひとつ。つまり、中に入っているのは―――
「ひっ、緋村、それっ!」
「大丈夫、中には一切手をつけていないでござるよ」
「っ・・・・・・!」
一本取られた、と操は頭を抱えた。中身は勿論、追い剥ぎから剥ぎ取ってやった財布である。
緋村のやつ、何も蒼紫様に渡さなくたって―――と、明らかな「嫌がらせ」に歯噛みする思いだったが、操としてもあれはあまり誉められた行いではないと
自覚しているので、剣心を責めることはできなかった。操がうーうー唸っているのを見て、薫は「あんまり苛めちゃダメよ」と剣心の髪を軽くひっぱった。
「じゃあ、今年はわたしのお腹がこれですから、巴さんのお墓参りに行けないんですけど・・・・・・」
「すまないが、一度時間があるときにでも―――」
「ああ、盆には代わりに行っておこう」
「ちゃんとお花持って行って、きれいにお掃除しておくから大丈夫だよっ。だから薫さん、安心して元気な赤ちゃん産んでねっ」
話題が変わったのに反応し、操はぱっと顔を上げて笑顔で答える。剣心と薫は異口同音に「ありがとう」と礼を言い―――薫は、「あら、こっちも」と笑って
お腹に手をやった。
「動いたでござるか?」
「うん、口を揃えたみたいに一緒に」
「ありがとう、って言ってくれたのかなぁ」
腰をかがめてお腹の赤ちゃんに問いかけるように話す操に、弥彦が「早く帰れって言ったんじゃねーのか?」と憎まれ口を叩く。
「京都に帰ったら、翁さんたちびっくりするでしょうねー」
薫が言ったのは、短くなった髪のことである。トレードマークだった三つ編みをほどいて、背中の真ん中に届くくらいの長さになった黒髪を、操は首を傾けて
ふわりと揺らしてみせた。
「だね。でもこの長さも気に入ったし、何より新たな心構えのつもりで切ったんだからね―――新しい目標にむかって、頑張るよっ」
操はぐっと親指を立てた手を、薫の前に突き出して示してみせた。その清々しい笑顔に、薫も笑って同じ動作をしてみせる。
「では、そろそろ行くとしよう」
「うんっ! それじゃあみんな、まったねー!」
蒼紫に促された操は、目一杯明るい声で出発の挨拶をする。
ふたりは青空の下歩き出し、操は途中何度か振り返ると、見送る剣心たちにむかって飛び跳ねるようにしながら手を振った。
「さて、と。せっかく朝早くから出てきたんだから、少し動いてくるかー」
ふたりの背中が小さくなって見えなくなった頃、弥彦はうーんとのびをして道場のほうへと足をむける。
「井戸に西瓜を吊るしておいたから、ひと汗かいた頃には食べごろに冷えているでござろう」
「お、やった!」
嬉々として駆け出す弥彦の後に続いて、剣心と薫も門をくぐる。と、剣心は思い出したように薫に尋ねた。
「なぁ薫殿」
「ん、なぁに?」
「さっき操殿が言っていた『新しい目標』とは、何でござるか?」
剣心の質問に薫はくすりと笑って、あの日、髪を切ったときの操の決意を思い返した。
「変わるんだ」と言った操。髪を切ったのは囮作戦のためだけではなく、彼女自身の心構えのため。
では、どう変わるのかというと―――
「あのね、操ちゃんは蒼紫さんのことがずっと前から好きだけど、このまま、ただ漫然と好きでいるだけじゃダメだと思ったんだって」
「それで、目標を?」
「そうなの、それがね・・・・・・」
薫は剣心の顔を正面から覗きこみ、笑みを深くする。
「わたしたちを、目標にするんですって」
「拙者たちを?」
目を丸くする剣心に、薫は楽しげに頷く。
そう、あの時操は振り向いて薫を見上げ、目をきらきらさせながら言った。
「やっぱり、目標は高いほうがいいと思うんだよね。だから決めた! あたしも薫さんと緋村みたく、いつか蒼紫様と夫婦になる! 絶対になってやるっ!」
そう、高らかに宣言したのだ。
「それは・・・・・・まぁ、操殿らしいというか・・・・・・」
操の口ぶりをなぞって諳んじた薫に、剣心は半ば呆れ半ば感心したように息をつく。「なってやる」と断言されても、夫婦になるのは当然蒼紫の意思も酌ま
なくてはならないわけで―――いや、操の根性と勢いをもってすれば、案外押し切ってしまうのかもしれない。
きっとそれくらいの「目標」をもって臨んだほうが、蒼紫もきちんと操に向き合おうとするのかもしれない。
子供の頃から知っている縁者の娘としてではなく、一途に彼に恋をしている、ひとりの少女として。
「目標、達成できればいいわね」
「そうでござるなぁ」
「と、なると。わたしは無事に丈夫な赤ちゃんを産むのが、今の目標かしらねぇ」
大きなお腹に慈しむように手を添えながら、薫が柔らかく微笑む。剣心は目を細めて、引き寄せられるように首を傾けた。こつん、と額と額が軽くぶつかる。
「では、拙者はいい父親になることが、今後の目標でござるかな」
いっそう嬉しそうにほころんだ薫の唇に、小さく口づけを落とす。薫はそっと目蓋を閉じて―――唇を重ねたまま、囁いた。
「・・・・・・ね、また動いたわ」
「今度は、なんと言ったのでござるかな」
「玄関先でいちゃつくなって言ったんじゃねーのかー?」
少し離れた方向から、弥彦の声が飛んできた。
あっという間に頬を真っ赤にした薫は、剣心の肩越しに「さっさと素振りでもしてきなさい!」と叫び返した。
★
街道沿いの林から聞こえる蝉の合唱は、日が高く上るにつれて音量を増している。
今日も暑くなりそうだ、朝早くの涼しいうちに出発したのは正解だったろう。
青い空には入道雲がわき立ち、爽やかな風が時折涼を運び、旅の始まりにはもってこいの日和かもしれない。
二年ぶりに蒼紫と二人旅というのも、心弾むシチュエーションの筈、なのだが―――
「・・・・・・ね、蒼紫様」
歩きながら、おずおずと声をかけてきた操に、蒼紫は「なんだ」というように視線を向けた。が、操はどう言ったものかというように、空を仰いで黙り込む。
「これのことか」
切り出すより早く、蒼紫が察した。これ、というのは、出掛けに剣心から渡された袋である。操は観念したように頷いたが、返す蒼紫の台詞はあっさりした
ものだった。
「そう気に病むな。京都に着く前に、どこか適当な警察署に放り投げておけばいいだろう」
「え?」
「お前のことだ、東京に着く前にひと騒動起こしたのだろう?」
「えーと、いやっ、確かにそうなんだ、けど・・・・・・」
「判っている、お前はまっとうな人間相手にこんな真似はしない」
その言葉に、操は安心したように肩から力を抜いた。
「お見通しなんだね、蒼紫様は」
「お前のことくらいはな」
「・・・・・・そっか、そうだよね。さすが蒼紫様」
くすぐったそうに、操が笑う。操がまだほんの小さかった頃からの付き合いの彼なのだから、行動パターンをすっかり把握されているのは当然だ。
もっとも今回の家出は、蒼紫にとっても予想外だったようだ。
―――これを機に、あたしがいつまでも小さい頃のままのあたしじゃないってこと、気づいてくれるといいんだけどな。
操はこっそり心のなかで、そう呟く。
「ところで」
「はい?」
「さっき言っていた、目標とは何のことだ」
操は、一昨日の夜そうしたように、飛び跳ねるような軽い足取りで蒼紫の前へと出る。
三つ編みをやめた、おろしたままの髪がふわりと肩の下で揺れた。
そして、あの夜「好きだよ」と言ったときと同じようにくるりと振り向いて、とびきり明るく笑ってみせた。
「達成するまで、教えない!」
追いかけてきた。
あなたの背中を、わき目もふらずに、ずっとずっと。
追いかけて追いかけて、走り続けるのは嫌いじゃない。
だって、それはいつか追いついて、隣に並んで一緒に歩ける日のために、あたしは走っているのだから。
家出娘の夏休み 了
2013.09.20
モドル。