8  家族






        クロガネを抱いた弥彦を真ん中に、三人は並んで帰路についた。



        弥彦は夕方からずっと井戸の中で雨に打たれて消耗してはいたが、「おぶって行くでござるか?」という剣心の申し出は固辞した。
        今日はもう充分情けない目に遭い続けてしまったが、せめて一日の締めくくりくらい、しゃんとして自分の足で歩いて帰りたかったから。
        それに、もうすぐお別れなのだから、できるだけ最後の最後まで、クロガネを自分で抱いていたかったのだ。


        「ひとまず道場へ帰って、拙者はその足で警察に行くでござるよ。弥彦、それでいいな?」
        「・・・・・・うん」


        道すがら、剣心から事件の経緯を聞かされた。
        クロガネを見つけて隠れて世話をするようになるまでのいきさつは燕が話したということだったので、弥彦は今日、空き家で起きた事とクロガネを盗み出
        した「誘拐犯」について語った。

        「女の子と長身の男ということで探索をすすめていたが、名前がわかったからには直ぐに見つかるでござろうな」
        「あらまぁ、それじゃあ弥彦のお手柄じゃない。怪我の功名ね」
        薫が笑って弥彦の頭をわしわしと撫でた。先程までの怒りやらなんやらは、思いっきり尻をぶっ叩いたことで全部まとめて昇華できたらしく、もう彼女に
        屈託した様子はなかった。思いっきり泣いたせいで、まだ目は真っ赤に腫れたままだったが。





        「じゃあ、とりあえず着替えてらっしゃい。ご飯冷えちゃったからお茶漬けにするわね、雨にあたったんだからお腹の中からあっためないと・・・・・食べてる
        間にお風呂沸かしておくから、おかわりは勝手にするのよ?」
        道場に着くなり、薫はそう言いつけて台所に飛んでいった。

        「おばさんくせぇ・・・・・・」
        小声で評したら剣心が笑って「母親みたい、の間違いでござろう?」と訂正した。
        「冗談じゃねーよ、俺の母上は、もっとこう・・・・・・」
        もの静かで儚げで優しいひとだった、と反論しようとしたが、うんと小さい頃悪さをしたときに尻を叩いて怒られたのを思い出し、言葉につまった。さっきの
        薫の折檻は、認めなくないが母親のそれとそっくりだった。
        「・・・・・・だけどあそこまで乱暴じゃねーよ」
        その呟きが言い訳めいていたから、剣心がまた笑う。
        「では弥彦、拙者は行ってくるから」
        「あ、うん、じゃあ・・・・・・」
        弥彦がクロガネを手渡そうとすると、剣心はその手を制した。

        「その前に」
        「え?」


        ごん、と。
        頭の真ん中に衝撃。


        「いってぇ! 何すんだよ剣心!」
        剣心から殴られるのは珍しいことだ。痛いのは勿論だったが、弥彦はむしろ驚きに声をあげた。
        クロガネは「さっきから随分怖い人間が登場するな」とでも思っているのか、弥彦の腕の中でやはり小さくなっている。

        「怒っているのは、薫殿だけと思っていたか?」
        思いがけず重く真剣な声音に、ぐっと黙らされる。
        「・・・・・・ごめん」
        剣心や警察の人間達は、躍起になってクロガネを捜していた。言ってみれば弥彦はそのクロガネをずっと「隠して」いたようなものなのだ。
        「知らなかったとはいえ、ほんとに迷惑かけちまって、でも俺・・・・・・」
        「そうではなくて」
        剣心は、大きく息の塊を吐き出すようにして、言った。


        「もう、こんな真似はするな」


        厳しく、低い声。
        先程の薫と、それはまったく同じ意味合いがこめられた台詞だった。
        そう、さっきは薫が先手を打ってめちゃくちゃに叱りだしたものだから、宥め役にまわってはいたが―――剣心だって、ずっと心配していたのだ。
        薫とはまた違った、静かだけれど圧倒されるような迫力に弥彦はうなだれる。剣心の目を見ないまま「わかってる」と小さく頷くと、もう一発すこーんと殴
        られた。
        「痛ってえな! わかったって言ったろー?!」
        ぎっと顔を上げて抗議すると、剣心はもう、普段の穏やかな顔に戻っていた。
        「今の一発は、薫殿を泣かせたぶんでござるよ」
        絶句する弥彦の手から、剣心はするりとクロガネを抱き取った。

        「なぁ、本っ気で不思議なんだけど、あんな凶暴女のいったいどこがいいんだ?」
        「おろ、聞きたいんでござるか?」
        「・・・・・・いや、やめておく」
        喜んで説明を始めそうな剣心に、弥彦はげんなりした顔で首を横に振った。クロガネが、みぎゃ、と短く鳴く。


        「じゃあな、クロガネ」
        剣心に抱かれておとなしくしているクロガネに、弥彦は顔を近づけて別れを告げる。

        短い間だったけれど、本当に楽しかった。
        クロガネを見つけたのが自分と燕でよかったと、心から思った。



        「・・・・・・ありがとう」



        ぐずぐずと思い悩んでいた数日間。弥彦はこの小さな存在と一緒にいることで、何度も救われる思いをした。
        これは、その事に対する礼だった。


        言葉が通じたわけでもないだろうけれど、クロガネは、それを別れと悟ったのだろうか。
        透きとおるような青い瞳でじっと弥彦を見つめていたクロガネは、ぺろりと舌を出して小さく弥彦の鼻先を舐めた。
        まるで、お別れの挨拶のように。

        

        そして弥彦は、門の前に立ち、警察に向かって歩く剣心の背中が夜の闇に溶けて見えなくなるまで見送った。
        自分は知らないけれど、父親に叱られるのはあんな感じなのだろうか、と、ぼんやり考えながら。








        ★







        「そりゃあね、あの寒い中ずーっと雨曝しになっていたわけだもの、風邪くらいひいて当然よね」
        薫はため息をついて、首を横に振った。


        井戸騒ぎの後、あったかいものを食べて風呂に放り込まれて、そうそうに寝かしつけられた弥彦だったが、やはりというか何というか、朝になってみると
        真っ赤な顔でくしゃみを連発させていた。そんなわけで早朝から診察にきてもらった小国診療所の玄斎から「風邪じゃな。二、三日寝てなさい」との診断
        が下され、弥彦は病人のお墨付きを貰ったのだった。

        「でもまぁ、馬鹿は風邪ひかないっていうし、馬鹿じゃないことが証明されてよかったじゃないの」
        「るっせぇ、ブス・・・・・・」
        額に冷たくした手ぬぐいを乗せた姿で、布団の中からつく悪態にはいつもの勢いはなかったが、それでもそう言えるだけ安心かと思ったのか、薫は怒っ
        た様子もなく肩をすくめた。
        「薬湯作ってくるから、おとなしくしてなさいよー。じゃあ燕ちゃん、ちょっと弥彦をみていてね」
        「あっ、はいっ」
        枕元にちょこんと正座した薫は、大きく頷きながら返事した。



        
        昨夜、剣心が警察署にクロガネを連れてゆき、弥彦が耳にした名前から「誘拐犯」も突き止めることができた。

        長身の男と洋装の少女という目撃証言もあったため、ある程度の絞込みもできていたおかげで、そこからの進展は早かった。少女・梢は居留地の近く
        に住む資産家の娘で飼い主の家とも交流があり、生まれたばかりのクロガネを見せてもらったこともあったらしい。そして、クロガネをすっかり気に入っ
        て、欲しくて欲しくてたまらなくなり―――泥棒騒ぎのどさくさに紛れて盗み出したらしい。
        しかし、クロガネは梢の元から逃げ出して、赤べこの裏に迷い込んだのを見つけたのが弥彦と燕だった。


        「弥彦くんが聞いた名前が決め手になったって、署長さんが言ってたよ」
        「そりゃよかった・・・・・・こんな目にあった甲斐があったってもんだぜ」
        「テイラーさん、とっても喜んでいたしね」

        燕はその「喜びよう」を思い出したのか、くすくすと笑いを洩らした。
        テイラーとは、クロガネ、もとい黒豹の飼い主である、居留地に住む英国人の名前だそうだ。
        「黒豹の子を守ってくれた少年少女に、是非御礼を言いたい」という彼の希望により、つい今しがた燕は署長に付き添われて居留地を訪ねたのだった。
        外国人に会うのは怖いと尻込みをしていた燕だったが、いざ会ってみるとテイラーは流暢な日本語を喋る冗談好きな紳士で、人見知りの燕もすぐに緊張
        をとくことができた。

        「本当なら、弥彦くんも一緒に行くはずだったのにね」
        「風邪が治ったら行くさ。クロガネの母さんと兄弟もいたんだって?」
        「うん! お母さんは嘘みたいに大きくて、ちょっと怖かった」
        「んな大げさな。お前、臆病だよなぁ」
        「違うもん! ほんとにびっくりするくらい大きいんだってば! 弥彦くんも実際に見たらそう思うはずだよ!」
        むきになって答える燕を、弥彦は「わかったわかった」と軽くいなした。
        「早く治さないとな。クロガネ、日本を離れるんだろ?」

        そう、もともとクロガネの母親の黒豹は、別の国に届けられるはずだった。しかし母親は手違いで日本に到着し、お腹の中にいたクロガネが程なくして生
        まれた。今はテイラーが預かっているが、年内には母親と兄弟とともに外国へと移されるらしい。
        「・・・・・・でも、よかった」
        「え?」
        「クロガネがさ、ひとりじゃなくって、ほんとによかった」
        ひとりぼっちの迷子だと思っていたけれど、ちゃんと家族がいて、世話をしてくれる飼い主がいた。
        その事を、今の弥彦は心からよかったと思えた。

        燕は少しためらった後、手をのばして弥彦の額から手ぬぐいをとった。
        怪訝そうな表情を浮かべる弥彦の隣で、桶の冷水に手ぬぐいを浸し、念入りに絞る。



        「弥彦くんも」
        「え?」
        「弥彦くんも、ひとりじゃないよ」



        小さな白い手が額にかかり、ひんやりとした感触に覆われる。手ぬぐいを額に乗せた燕の指が、わずかに髪に触れた。
        「剣心さんも薫さんもいるし、それに、その・・・・・・」
        燕はそこまで行って、何故か頬を赤くして口ごもった。その先の言葉が気になったが、なかなか続きを口にしないようなので弥彦は「・・・・・・そうだな」と
        引き取った。
        「なぁ、燕」
        「なぁに?」
        「俺、風邪が治ったら道場出るよ」
        予想もしていなかった発言に、燕の目が丸くなる。
        「え!? なんで? どうして? わたし今、ひとりじゃないって言ったばっかりなのに、どうして!」
        「だからだよ」
        熱のせいで少し掠れてはいたけれど、弥彦はしっかりした声で言った。



        「俺さ、最近ちょっとうじうじぐずぐずしてたんだけどさ、今回の件でちゃんとわかったんだ。やっぱり俺にとって、剣心と薫は家族なんだって」



        血の繋がりなどないけれど、互いを大切に思っているからこそ、心配をしたり怒ったり甘えたり、喧嘩をしたり仲直りしたりする。
        それは、そういうことは、剣心と薫が夫婦になったからといって変わるものではないのだ。

        「家族なら、いつか子供はひとり立ちするもんだろ。それに、違う場所で暮らしてたって、家族だってことは変わらないもんだろ?」
        「でも、弥彦くん道場出たらどこに・・・・・・」
        「左之助の長屋。もともと譲るって言われてたしさ」
        「あ」
        燕は納得したように頷いた。
        「そっか・・・・・・じゃあ、早く元気にならなくちゃだね、安心した」
        「は? 何が?」
        「弥彦くん、クロガネを拾う前までずっと元気なかったから心配していたんだけど・・・・・・もう、元どおりの弥彦くんだね」
        ほっとしたように微笑む燕につられたように、弥彦の口元もゆるむ。



        道場を出て行くと言ったら、薫はまた怒って反対するかもしれない。
        剣心は―――あののろけ具合からいって案外あっさり賛成しそうな気もする。

        いずれにしても、大丈夫。
        自分はひとりじゃないことがわかったから。
        この家をひとりで出たって、そんな事はたいした問題ではない。ちゃんと繋がっていられると、確信したから。


        「燕、今の話は剣心や薫には言うなよ。俺から時期を見計らって喋るから」
        「うん、わかった」
        燕はなんとなく声をひそめて返事をして、それから、意を決したかのようにしゃきっと姿勢を正し、弥彦の目をじっと見た。



        「あのね、弥彦くん」
        「ん?」
        「剣心さんや、薫さんだけじゃないよ」
        「え?」
        「・・・・・・わたしも、いるよ」



        告げられた意味がよくわからなくて、弥彦はまじまじと燕の顔を見る。
        そしてその頬が真っ赤に染まっているのに気づいて―――弥彦の顔も同じ色になった。
        と、廊下から足音がふたつ近づいてきて、するりと襖が開けられた。

        「弥彦、具合はどうでござるか?」
        「薬湯淹れてきたわよ・・・・・・ってあんた熱上がったんじゃないの? 顔赤いわよ?」
        気遣わしげな薫に、弥彦は「気のせいだろ」とそっぽを向いた。
        燕は紅潮した顔に気づかれないよう、こっそり俯く。






        外では木枯らしが、すっかり葉の寂しくなった梢を震わせているが、皆が集まった弥彦の部屋は暖かかった。


        さまざまな想いをのせて、季節はまたひとつ、次へと移ろってゆく。
        変わってゆくものと、変わらないものとともに。
















        「ひとりじゃないから」  了。







                                                                                2012.09.06









        
モドル。