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        雨の中、何者かに手を引かれ、夜の山道を歩いているうちに、勾配がゆるやかになってきた。
        そこで「手」の持ち主は、立ち止まる。


        おや、と思いながらそれに倣うと、大きく腕を引っ張られた。
        「あ」
        指先に触れた、木の感触。
        自然のそれではなく、人の手が加えられたもの。おそらく、山小屋の扉であろう。

        よかった、これで人心地がつける、今夜は野宿を免れた。
        と、安堵の息をつきながら、ここまで案内をしてくれた何者かに、改めて礼を言おうとした。


        しかし、それより早く、ぱっと目の前に光があふれた。
        山小屋の扉が、内側から開いたのである。

        どうやら、小屋には先客がいたようだ。
        屋内にともる灯はさほど明るいものではなかったが、闇夜の中を歩き通しだった剣心は思わず目を細くする。


        中にいたのは数人の男たちで、そして―――



        「なんだ、男じゃねぇか!?」



        背後で、素っ頓狂な声があがる。
        ふりむくと、今の今まで先導していた手の主と目が合った。

        そこに居たのは、狐狸妖怪や死霊のたぐいなどではなく、生きた人間の男性だった。ただし、人相、風体はよろしいとは言い難い。
        これは、この者はおそらく―――


        「なんだよ、随分細くてちっこい影だから、てっきり女ひとりの山越えかと思ったのによぉ。畜生、無駄な期待させやがって・・・・・・」
        男ががくりと肩を落とし、小屋にいた男たちがげらげらと笑った。彼らも、先導してきた男と似たり寄ったりの身なりをしており、小屋の床には鉈やら棍棒や
        らといった得物が転がっている。
        おそらく、彼らは山賊のたぐいで、この小屋は彼らのねぐらなのだろう。

        常に山中にいる彼らは、月明かりのない真っ暗な道にも慣れている。暗がりで人影を―――つまり剣心を見つけた先導役は、その人影が刀を差している
        ところまでは気づかなかった。今の世では帯刀している者じたいが珍しいので無理からぬことだが、とにかく、低い身長と細い体つきから「女性」だと判断
        した。
        金だけが目的ならば、その場で追剥ぎをすればよいだけのことだ。しかし、相手は女性ならば、それ以外にも「楽しむ」ことができる。
        そのつもりで、先導すると思いこませて、小屋へと連れ込もうとしたのだが―――


        「つっまらねぇ。久々に女が食えるかと思ったのによぉ」
        「あんまり金も持ってなさそうな兄ちゃんだな。まぁ、とりあえず盗るもん取り上げて・・・・・・」
        「お?なんだこいつ、刀なんて持ってやがるぞ」

        小屋の床からのそりと立ち上がった山賊のひとりが、逆刃刀にむかって手を伸ばした。武器を持っていても、見た目は女のように小柄で優男の剣心であ
        る。腰の刀も飾り物かと思ったのだろう。
        その油断が、命取りだった。



        次の瞬間、度を超した怒りのあまり、能面のごとく無表情になった剣心の手には逆刃刀があった。
        そして、木々の葉を叩く雨音に重なり、山賊たちの絶叫が夜の山にこだました。








        「・・・・・・それで、どうなったの?」
        「幸いというかなんというか・・・・・・雨がやんで月が出たので、山を下りたでござるよ」



        ふもとの人里に着く頃には、ちょうど夜も明けた。
        雨風に畑がやられていないか、様子を見るのに朝早くから表に出ていた農夫たちに声をかけて、剣心は事の次第を伝えた。すると彼らは仰天し、そして
        大いに喜び、一斉に感謝の言葉を口にした。

        剣心が叩きのめした山賊たちは、すこし前からこの山中を根城にし、山越えをする旅人たちを襲っていたらしい。警察に助けを求め山狩りをしたこともあっ
        たが、山は彼らの庭のようなものである。成果は得られず、お手上げの状態だったという。
        あまりに被害が増えると、じきにこの山道を使う旅人もいなくなるだろう。そうしたら山賊も拠点を替えるだろうから、それまで辛抱するしかないのか―――
        と、諦めかけていたところに、剣心が山を越えようとした。それは山賊たちにとっては最悪の厄災であり、里の人々にとっては僥倖だった。
        村長の通報によって警察が山小屋に駆けつけ、半死半生のていでそこに転がされていた山賊たちは、全員お縄になった。


        かくして剣心は、里の人々を困らせていた山賊を、はからずも退治してのけたのだった。








        「めでたしめでたしってわけね・・・・・・なんだ、結局すごく良いことをしたんじゃないの」


        武器を持った山賊たちをひとりで全員倒してしまうなんて、さすが剣心―――と、薫は感心した。
        しかし、この「怖くもなんともない、いいことをした話」を「聞かないほうがいい」と言ったのは、やはりわたしを怖がらせてからかう為だったのか、と。不満げ
        に唇をとがらせる。

        「いや、確かに、いたずら心を出してしまったのも事実でござるが・・・・・・それよりも、むしろ、いざ話し始めたものの、途中からどうも最後まで話すのは気
        が進まなくなってしまったというか・・・・・・話すべきではないと後悔してしまったというか・・・・・・」

        要領を得ない弁解に、薫は「え、どうして?」と、首をかしげる。
        なぜか、妙に口が重くなった剣心は、なかなかその続きを話そうとしなかったが、「聞かせてもらうまでは逸らさない」とばかりに凝っと見つめてくる視線に
        根負けし、大きく息のかたまりを吐き出した。



        「―――女と間違えられたことを話すのが、嫌になったからでござるよ」



        剣心としては、腹を決めての告白だった。
        だが、薫はその言葉にぽかんとし、「・・・・・・それだけ?」と、更に首をかしげる。
        ばつの悪い顔で首を縦に振る剣心に、薫は目を丸くした。


        「なーんだ、そんな事が理由だったの・・・・・・」
        さんざん怖がった身としては、なんとも拍子抜けの理由に、思わず呆れた声が出た。
        しかし剣心は「いや、『そんな事』ではないでござる」と食い下がる。

        「拙者にしてみれば、かなり屈辱的だったでござるよ?!いくら暗闇だったからとはいえ、そんな風に間違えられて、しかも狼藉まで働くつもりだったなど、
        男としての沽券に関わるでござるよ」
        珍しく語気を荒げる剣心に、薫は「大袈裟ねぇ」と笑ったが―――まぁ、自分の身に置き換えて考えてみると、弥彦から「男女!」と言われて腹が立つのに
        近い感情なのかもしれない。
        自分が一般的な女の子と比べて、威勢がよすぎて少々がさつであることは、自覚しているし反省もしている。とはいえ、指摘され馬鹿にされるとさすがに頭
        にくるものだ。それと同様に、彼は彼で男性にしては小柄な体躯や柔和で綺麗な顔立ちを気にしているのだろう。

        と、そんなことを考えていたら、剣心が聞き捨てならないことを口にした。
        「つくづく、自分の体格が恨めしいでござるよ・・・・・・拙者も左之くらいの身長や、雷十太のような体つきならばよかったのに」
        「え?!剣心、あんなごつごつした体型になりたいの?!」
        「それは、拙者も男でござるから、そう思うでござるよ。あれくらい大柄ならば、頼りがいもありそうでござろう?」
        先日騒動を起こした雷十太の姿を思い浮かべ、ついでにその首から上に剣心の顔が乗っているのを想像してしまった薫は、それこそ怪談を聞かされたよ
        うに怖気をふるう。


        「やだー!そんなのわたしが嫌よ!剣心は今のままでじゅうぶん頼りになるし、わたしはそのままの剣心が・・・・・・」


        そこまで言ったところで、我に返る。
        うっかり余計なことを口走りそうになった薫は、「・・・・・・とにかく、今のままで問題ないわよ!」と、無理矢理にしめくくった。

        剣心は、ぱちぱちとまばたきをすると、くすぐったそうに微笑んだ。
        「・・・・・・かたじけないでござる」
        「・・・・・・どういたしまして」
        「改めて、今日はすまなかった」
        「もう、いいってばー!もう怒ってないから!」


        気がつくと、雷の音も雨の音も止んでいた。
        どうやら、嵐は去ったらしい。


        天気も「喧嘩」も落ち着くと、あらためて、深夜に布団の上でふたりきりという状況に、揃って気恥ずかしさがこみあげてくる。
        薫は「じゃあ・・・・・・もう怖くなくなったから、わたしはこれで・・・・・・」と、そわそわと立ち上がる。

        「ああ、うん・・・・・・そうでござるな」
        「おやすみなさい」
        「うん、おやすみ」


        照れくさいのと、名残惜しいのが混ざりあったような、そんな気持ちで互いにおやすみを口にして。
        そうして、薫は自室に戻っていった。

        ふすまごしに、小さな足音が遠ざかってゆくのを聞き届けてから、剣心はばさりと布団の上に倒れ込んだ。
        布団には、先程まで座っていた薫のぬくもりが残っていた。



        「嵐みたいな夜だったな・・・・・・」



        ちゃんと謝ったら機嫌を直してもらえるだろうかと、思案して。
        早く話の結末を知らせなくてはと、気をせかして。
        思いがけず至近距離に彼女を感じて、理性がぐらついて。
        感情がせわしなく右往左往し慌てふためき、精神的に、かなり忙しかった。



        けれど――― 一件落着した今となっては、そう悪くない一夜だったように思える。





        「おやすみなさい」と言った薫のはにかむ顔を思い浮かべつつ、剣心は目を閉じた。
        これでようやく、ぐっすり眠れそうだなと思いながら。








        ★








        翌朝、雨戸を開け放った薫は、「最高のお天気ね!」と、上機嫌な声を上げた。
        夜半の大雨に洗われたかのように、空はどこまでも青く高く、見事な快晴である。



        「おはよう、よく眠れたでござるか?」
        「あ、おはよう剣心!うんっ、おかげさまで」

        えへへと笑う薫につられて、剣心も頬をほころばせる。
        遅れて起きてきた弥彦が、そんなふたりを見て「なんだ、喧嘩してたんじゃなかったのかよ?」と、おはようの挨拶よりも早く言った。
        高く結った髪を揺らして「もう仲直りしたもーん」を胸をそらせる薫に、剣心はまぶしそうに目を細める。



        久しぶりに、「人間関係」で思い悩んだ。
        いや、こんなのは久しぶりどころか、流浪人になって初めてのことだった。
        けれど、仲直りできたからこそ思えるのだろうけれど―――これはきっと、悪いことではないのだ。



        日々の天気は、穏やかな日ばかりとは限らない。
        暑い日もあれば雨も降る。昨日のように荒れ狂う嵐の日があれば、凍てつく吹雪の日だってある。
        日常を過ごす、人の心だって同じなのだ。

        怒りや心配や悩み事が生じては波風が立ち、ときにはそれがひとりの中では処理しきれずに爆発し、誰かと衝突したり喧嘩になったりすることもある。あ
        るいは、慰められたり力づけられたりすることもある。
        どんなに平和に生きていても、ささいな事で心は揺らぐ。他者とかかわっていれば、摩擦も生まれる。


        けれど、それは決して悪いことではないのだ。
        落ち込んだときにかけられたあたたかな言葉に、誰かの優しさを感じたり。ぶつかりあった相手と和解して、前より絆が深まったり。

        そんなふうに、波風が立ったことによって、得られる光もあるのだ。
        まさに今日のように―――嵐が過ぎた後の空が、より一層、深く青く澄み渡るように。






        「・・・・・・喧嘩するほど、仲良くなれたかな」







        薫たちには聞こえないよう気をつけて、剣心は口の中でちいさく呟いた。















        「春の嵐」 了。








                                                                                    2018.05.05










        モドル。