今日は、楽しい一日になる予定だった。


        朝、カーテンを開けたらいい天気で、滑り出しは上々だった。
        一緒に観に行こうと約束をしていた映画のシリーズ最新作が、公開になったばかりの週末。映画そのものも楽しみだったし、君との映画館デートもすごく
        楽しみだった。念のため、地元から少し離れた映画館まで足をのばすことにした。このくらい遠出をすれば、学校関係の知人にばったり出くわす可能性は
        相当低くなるはずだ。

        さあ、安心して今日一日を思い切り楽しもう―――と、意気揚々と向かったチケットカウンターにて、係の女性は爽やかな笑顔でのたまった。




        「学生証はお持ちですか?」




        隣にいる薫(現役女子高生)にではなく、俺(三十歳社会人)を正面から見据えて、はっきりと。








       映画館より愛をこめて







        つきあい始めてから一年ほど経って、近頃は互いにかなり遠慮なく、素直な表情を見せ合えるようになったと思う。
        そんなわけで、一般料金で購入したチケットを手に席についた現在の俺は、明らかに不機嫌な顔になっていた。いや、不機嫌というよりは子供が拗ねてい
        るような表情だろうか。なにしろ俺は、大学を出てじきに十年経とうというのに、未だに学生に間違えられるような童顔であるからして―――ああ、いかんい
        かん、いくらなんでも卑屈が過ぎる。

        「・・・・・・あのね、さっきのスタッフさん、高校生じゃなくて大学生に間違えたんだと思うの」
        隣に座る君が、気遣わしげにそう言った。健気なフォローに「ありがとう」と苦笑まじりの礼を返す。うん、開映を前にいつまでも拗ねているのも馬鹿らしい
        し、いいかげん気持ちを切り替えないと。
        「次に来たときは、無人の発券カウンターを使うことにするよ」
        ・・・・・・あまり切り替わってなかったか。


        「女性は若く見られると嬉しいものだけど、男のひとはそうじゃないのね」
        「薫も若く見られたいの?」
        「一般的な大人の話よ!わたしが今の歳より若く見られたとしたら、中学生か小学生並みの見た目になっちゃうでしょ」
        ううむ、そうなるとますます俺との年の差が犯罪めいてくるので、それは困る。ともあれ―――
        「男だって若く見えるのに越したことはないだろうけど、限度があるよ。とりあえず、三十にもなって大学生に間違えられるのは、ちょっとなぁ・・・・・・」
        「そういうものなんだ」
        「一応、社会人だからね。仕事してると、あんまり見た目が若いと頼りなく思われることもあるから」
        普段から一緒に働いている同僚たちからは、不当に低く評価されることもないけれど。しかしこれが初対面の相手だと、あからさまに軽んじられることもあ
        る。軽く見られたとしても、実際の仕事で挽回すればいいだけの話なのだが、だとしても頻繁に若造扱いされるのは面倒くさいし、理屈抜きで面白くない。
        面白いわけがない。

        「・・・・・・えーと、ごめんなさい。わたしもはじめて『緋村コーチ』を紹介されたときは、大学生かと思ったの」
        「うん・・・・・・いいよ、薫の先輩たちからも同じこと言われたからね。新入生に紹介される時の慣例みたいなものだよ」
        高校生が相手となると、まぁ悪気も無いし仕方ない。
        ふと、周りを見るとかなりの席が埋まってきていた。君がバッグからスマホを取り出して電源を切るのを見て、俺もそれに倣う。上映開始の時間が近づい
        ている。


        「剣心のご両親も、見た目が若かったりするの?」
        「うーん、実際の年齢よりは、まぁ若い方だと思うけれど・・・・・・あれかなぁ、遺伝というよりは、流派の呪いかなぁ」
        「え、何それ?流派って、子供のときに通っていた道場の?」
        「そう。その道場の師匠が年齢の割にやたらと見た目が若くて・・・・・・アンチエイジング効果がある指導をしているんですかって、本気で問い合わせてきた
        女のひともいたからね」
        「話盛ってない?!」
        「いや本当に、誇張なしで」

        「うそー!」ところころ笑う、君の可愛い笑顔を見ていると気持ちが上向きになる。
        よし、あとは間もなく始まる映画に没頭すれば、二時間後にはさらに晴れやかな気分になっていることだろう―――
        と、切り替えかけたところで、ふと思った。



        薫は、どう思っているんだろう。
        俺の、見た目のことを。



        俺は余裕で十は若くみられてしまう童顔だけど、加えて「きれいな顔立ち」であることも自覚している。感じの悪い自覚かもしれないが、リアルに少年だっ
        た頃から「可愛くて女の子みたい」としょっちゅう言われてきたので、この容姿はむしろコンプレックスだった。
        とはいえ「きれいで可愛い顔立ちの男の子」は同世代の女子からの受けは良く、不遜な独白が許されるならば、中高生の頃の俺は女子生徒たちにとって
        「手の届くアイドル」的な立ち位置だったのだろう。バレンタインの時期には同級生の男子たちから散々やっかまれたが、同時に「でもお前の身長を見ると
        神様もそこそこ公平だと思うよ」としみじみ言われ、俺のほうこそ神を恨んだものだった。

        十代後半になっても背はさほど伸びず、二十代も半ばを過ぎた頃、身長については諦めた。ならばせめて「可愛い」容貌のほうは年齢相応に成長を遂げ
        て精悍に男らしく―――と願ったが、こちらもたいした変化はなく、今に至る。
        母校の剣道部でコーチのボランティアを始めたのは数年前のことだが、バレンタインには久々に紙袋いっぱいのチョコを贈られ「ああ、再びこの立ち位置
        か」と学生時代を思い出した。


        好意を寄せられるのは、ごくごく単純に割り切ればありがたいことだけど。
        しかし、好意を寄せられる理由が自分のコンプレックスにあるのかと思うと、どうも複雑だ。

        俺は薫の見た目も性格も声も喋り方も表情も剣道に対する姿勢も、ぜんぶをひっくるめて薫の存在そのものに惹かれて恋をしたのだけど。



        薫は―――どうなんだろう。



        もうすぐ、予告編が始まる。そして君は、予告からしっかり集中して観るタイプである。
        会話が交わせる時間、つまり残された時間はあと僅か。
        俺は思いきって、その疑問を口にする。

        「薫は」
        「え?」
        「薫は、どう思ってる?俺の、この見た目」

        ・・・・・・まるで、つきあいたてのカップルがする質問みたいだけど、恋人同士になってそれなりに時間が経った今だからこそ、遠慮を抜きに答えてもらえる
        のではないだろうか。君は、不意の質問に目をぱちくりさせて、そして羞ずかしげに視線を下に落として―――



        「わたしは・・・・・・剣心が、年齢より若く見える見た目で、よかったなぁと思ってるけど」



        ・・・・・・そうか、そうなのか。
        やはり複雑ではあるが、この外見が君の好みであることは喜ばしいことであろう。そうなると、無駄に若く見える容姿であることに感謝すべきだろうか?
        などと内心で自問自答していたら―――薫の言葉には続きがあった。


        「だって、考えてもみてよ。わたしと剣心、ひとまわり以上歳が離れてるのよ?」
        「・・・・・・え?」
        思いがけない切り返しに、今度は俺が目をしばたたかせる。それは確認するまでもない事実だけど、今の話とどう関係するのだろう。

        「剣心はすごく若く見えるけと、実際に喋ってみたりしたら、やっぱりわたしよりずっと大人なんだなーってわかるもの。もし剣心が、見た目も相応に大人だ
        ったら・・・・・・わたし、どれだけ剣心に惹かれても、告白する勇気は出せなかったかもしれないわ。告白する以前に、こんな大人がわたしなんか相手にする
        はずないよなぁ、って・・・・・・諦めちゃってたと思う」



        はっとした。
        俺と君の間にある、十三歳の年齢差というハードル。しかも君はまだ未成年。

        俺にしてみるとひとまわり年下の十代の女の子である君は、まぶしくてかわいくてきらきらしていて、なんだかもう別のいきもののように感じることもある。
        そんな君に本気で恋をした俺は、「社会の常識を鑑みるに、これは大変な恋をしてしまった」と頭を抱えたものだった。
        けれども、君は―――



        「見た目が、年齢が近い感じだったから、まだしも話しかけやすかった・・・・・・ってこと?」
        「そう、そんな感じ!剣心はずっと年上で、わたしよりずっと大人なんだって、わかってはいたけど・・・・・・それでも、剣心の見た目のおかげで、すこしは気
        後れせずに接することができたと思うの。諦めないで、どうにかこうにか、告白する勇気も出せたし」


        つきあいはじめて一年近くが経過して、互いに前より遠慮無く振る舞える、心地よい関係になったと思っていた。
        君がどんな女の子なのかも、出逢った頃よりずっと理解できているつもりだった。

        でも、知らなかった。
        君にとっての年齢差のハードルが、俺よりはるかに、純粋で切実なものだったことを。


        そして君は、俺が「卒業までは我慢」などと悠長なことを考えているうちに、その高いハードルを飛び越えて―――君のほうから「好きです」と告白してくれた。




        「だから、わたしは剣心のそのままの見た目が好きだし・・・・・・もちろん、見た目以外も、ぜんぶ好き」




        鮮やかに頬を染めながらそう言って君が笑った瞬間、映画館の照明が落ちた。
        予告編が始まる。
        しかし俺はしばらくの間、シートに背を預けた君の横顔から目を離せずにいた。


        ・・・・・・今、この瞬間。生まれてはじめて「歳より若く見える見た目でよかった」と思えてしまった。
        これは、コンプレックスを克服できたということではないだろうか?


        今すぐ君に、俺も君の見た目も性格も声も喋り方も表情も剣道に対する姿勢もぜんぶをひっくるめて大好きだよと伝えたくなった。好きになってくれてあ
        りがとうと感謝の気持ちも伝えたくなった。

        が―――いや、いやいやいや落ち着け自分。まずはこの二時間を楽しもう。
        ふたりで公開を心待ちにしていた映画に没頭したあとも、君とのデートは続くのだ。きっと二時間後、俺たちは笑顔で「楽しかったね」と感想を語り合うこと
        になるのだろう。
        君に気持ちを伝えるのは、その後でも遅くはないはずだ。まずは―――この二時間を、君と共有することにしよう。






        深く息をついて、シートに身体を沈める。

        君の大きな瞳が、スクリーンからの光をうけてきらきらと輝くのを盗み見てから、目線を正面へと移す。
        映画館ならではの音響で鳴り響く音楽に包まれながら、君の隣にいられる幸福をしみじみと噛み締めた。










        now showing・・・・・・






                                                                                          2020.11.09








        モドル。