後編











        縁が姉を殺した相手を憎み、恨み、その感情を糧に生き延びてきたように。
        俺も、ずっと憎んできた。巴の命を奪った者のことを―――つまり、俺自身のことを。

        俺を憎んでいる者は縁だけではなく、この空の下にまだ幾人もいることだろう。「人誅」に加わった同志にも、そんな者たちがいたように。
        けれど、そんなのは当然のことだと思っていた。




        だって、俺も俺のことを憎んでいるくらいなのだから、他人が俺を憎むのは無理もないことだろう、と―――




        「悲しかった」と、薫はそう言った。
        けれど俺は、大切なひとを失ったときに胸を占める筈であろうその当然の感情を、もう永いこと封じ込めていた。

        自分に対する怒り、憎しみ。大切な者を守れなかった絶望、無力感。巴のことを思うたび、悲しみよりも先に立つものは、それらの感情だった。
        ただただ、罪悪感に支配されて―――無意識のうちに、一番に抱くべき、彼女を悼む想いを押し殺していたことに、今頃気づいた。
        いや、薫の言葉で、気づかされた。


        だって、自分にはそんな資格は無いと思っていたから。
        巴の命を奪った俺に、人並みに彼女の死を嘆く資格なんて無いと、信じていたから。


        「剣心、さっき・・・・・・『許してもらえなかった』って言ったわよね」
        黙りこんでしまった剣心に薫がかけた声は、やはり優しかった。
        「でも・・・・・・まずは、あなたが、あなた自身のことを許す事は・・・・・・できるんじゃないかしら」
        剣心は、僅かに瞳を動かした。薫は穏やかに、彼に語りかける。
        「これまで、自分を憎みながら、自分を責めながら生きてきて・・・・・・剣心、苦しかったんでしょう?けれど、巴さんはそんなこと望んでないと思う」

        薫は、巴を知らないけれど。でも、それは自信を持って言えることだった。
        だって、剣心のことを想う気持ちは、きっとわたしも巴さんも同じ筈だから、それなら―――
        「誰だって、自分の好きなひとが苦しんでいるところなんて、見たくないものでしょう?だから、巴さんだって剣心が苦しんでいることを知ったら、同じように
        苦しむはずよ」
        そう言ってから、薫は少しの間躊躇って―――もうひとつ、つけ加える。


        「わたしだって・・・・・・苦しいわ」


        項垂れていた頭をもたげた剣心は、目の前にいる薫を見た。
        「剣心が笑顔でいるほうが、巴さんも絶対に嬉しいし、笑顔になってくれると思うの。巴さんを失って苦しんだことよりも、一緒に過ごしていた時間のこと
        を・・・・・・一緒にいて幸せだったことや、辛いときに支えてもらっていたことを、たくさん思い出すほうが・・・・・・巴さんも、喜ぶと思うの」
        うまく言えないけれど、そう思うの、と。薫はじっと剣心の目を見つめながら、そう言った。

        剣心は、息を飲む。
        少しの間をおいてくしゃりと顔を歪ませると、「まいったなぁ・・・・・・」と言って天井を仰いだ。
        格好悪いことに、そうでもしないと泣いてしまいそうだった。


        それは、長い眠りから目覚める前に、幻の中で巴が口にしたのと、まったく同じ意味を持つ言葉。
        そうか―――答えは、こんな近くにあったんだ。


        「・・・・・・そうでござるな、薫殿の言うとおりだ」
        その口調が暗いものではなかったので、薫は安心したようにほっと息をついて、柔らかく笑った。
        穏やかな、包み込むような笑顔。こんなふうに笑う娘だっただろうか、と剣心は目をしばたたかせる。

        ああ、そうか、今まで沢山泣かせてしまったからだろうな。
        出逢ってから何度も傷つけて、危険な目にも遭わせて、君にとっては酷であろう過去を突きつけて。
        そんな事どもを君はすべて受け入れてくれて、だからこそ、こんな表情で笑えるようになったのだろう。



        改めて、その笑顔を―――うつくしいな、と思った。



        「・・・・・・ご飯、食べられる?」
        「ああ、大丈夫」
        「しっかり食べて、早く元気にならないとね。身体が元気じゃないと気持ちまでしゅんとしちゃうもの」

        わたしのぶんもあげるからと言って牛串を持たせようとする薫に、剣心は「かたじけない」とまた笑って、素直にそれを受け取った。
        そして―――以前から抱いていたあるひとつの想いが、胸の中で熱を増してゆくのを感じていた。










        食事を終えて、揃って「ごちそうさまでした」を言う。
        薫は「手、貸してね」と言って彼の手を取ると、絞った手ぬぐいで指先を拭った。左手に薫の指の柔らかさを感じて、剣心は目を細める。

        「じゃあ、ちょっと待っててね。今お茶を淹れてくるから」
        「・・・・・・薫殿」
        「ん?なぁに?」
        「頼みが、あるのだが」
        「あ、おむすび足りなかった?もう一個作ってくる?」
        剣心は「そうではなくて」と笑い、膳を運ぼうと腰を浮かしかけた薫の手を捕まえた。


        「手」
        「え?」
        「もう少し、握っていてはくれぬか?」

        一瞬、きょとんとした後、薫の頬にぼわっと血がのぼる。
        今の今まで自分からしっかり手を掴んでいたというのに、剣心から改めてそうされるとなると話はまったく別らしい。薫は戸惑ったように視線をあちこちに泳
        がせてから、小さな声で「・・・・・・いいけど」と許可をくれた。
        捕まえた手を、きちんと握りなおす。顔を真っ赤にしてうつむいてしまった薫の初々しい反応に、「かわいいな」と剣心は頬を緩める。伏せた睫毛を見つめ
        ながら、剣心は深呼吸をするようにすっと息を吸い込んだ。


        「もうひとつ、頼みがあるのだが」
        「・・・・・・なぁに?」
        「恵殿の許可がおりたら、京都へ行こうと思っている」


        はっとして、薫が顔を上げる。剣心は安心させるように、彼女の小さい手をよりしっかりと握った。
        「報告を、しておきたいのでござるよ。巴の墓前に」
        ほうこく?と口の中で呟くように問い返した薫に、頷いてみせる。
        「薫殿の言うとおりでござるよ。拙者は今までずっと、自分の事を許せずにいた。けれど・・・・・・それでは何も変わらないのでござるな」

        重ねた罪を悔いて、償おうとすること。それは、自分を憎悪し、責め続けることとはまったく異なる事なのだ。
        それに気がつくまでに、こんなにも年月がかかってしまったが、きっと今だからこそ気づくことができたのだろう。長い時間を、贖罪の旅に費やして、新しい
        出会いと再会があって―――君という存在にめぐり逢えた、今だから。


        「自分を憎むのは、もうやめにするよ。けれど、自分がしてきた事を忘れたりもしない。ちゃんと背負ったうえで、生きてゆくでござる―――守るべきものを、
        守るために」
        薫は、空いている手で口許を覆った。何故か涙が滲みそうになってしまい、震えそうな唇を隠すために。
        そして、僅かに潤んだ瞳を優しく細めて、「もう・・・・・・守っているわよ・・・・・・」と微笑んだ。
        「あなたは、今までだって大勢のひとを助けて、守ってきたじゃない。わたしや、弥彦のことだってそうよ?だから・・・・・・あなたなら絶対に、大丈夫よ」

        そう言って笑うけれど、君はちゃんと知っているのだろう。俺が、平坦ではない道を選んだということを。
        それでも―――君のその笑顔を見ていれば、本当に「大丈夫」だと思えてしまう。
        決して容易くはない道程でも、君が、一緒に歩んでくれるなら。



        「・・・・・・一緒に、ついて来てはくれぬか?」



        それこそが、もうひとつの「頼み」だった。
        「・・・・・・え?」
        「京都に、一緒に来て欲しい」
        薫は今度こそ驚いた様子で、大きな目を更に大きくする。

        「巴には、この度の縁の事と、拙者のこれからの事を報告しておきたい。なんというか、けじめをつけておきたいのでござるよ、拙者なりに」
        「でっ・・・・・・でも、それって大事な報告でしょう?それなのに、わたしが一緒でいいの・・・・・・?」
        「だからでござるよ」
        片手しか動かせないのが、もどかしかった。本当なら、もっとしっかりと両手で君の手をとりたかった。いや、いっそのことこのまま引き寄せて抱きしめてし
        まいたかった。



        「大事なことだからこそ・・・・・・薫殿に、一緒にいてほしいんでござる」



        抱きしめるかわりに、せめてもと思い、まっすぐに彼女の目を見つめる。
        真摯な眼差しの内にこめられた、想いの熱さを感じとったのだろう。まばたきも出来ずにいた薫の瞳が、ふわりと揺れた。そして―――

        「・・・・・・はい」
        待っていた答えが返される。
        光がさすような、笑顔とともに。



        「一緒に・・・・・・ついていきます」



        剣心の真剣さが伝染ってしまったようで、つい口調が畏まったものになる。それが自分でも可笑しかったのか、薫は頷きながらくすくすと笑う。
        「・・・・・・っていうか、考えてもみてよ?そんな身体でひとりで行かせる訳ないじゃない!たとえ来るなと言われたって、ついていくに決まってるでしょう?」
        瞳を潤ませて、それでもおどけたように言う薫に、剣心は「それは、頼もしい」と口許をゆるめた。


        自分自身が憎かった。幸せになる資格など、ないと思っていた。けれど、君は「自分のことを許して」と言ってくれた。
        それならば―――許されるだろうか。君を、愛することも。
        君とともに人生を歩むことも、許されるのだろうか。

        いや、たとえ誰からの許しを得られなくとも、もう俺は君なしの人生なんて考えられない。だから俺は、この剣に懸けて君を守ろう。
        生きている限り、償うために、守るために振るい続けると誓ったこの剣で。
        一生をかけて―――君のことを。


        「・・・・・・ありがとう」
        握ったままの薫の手を、剣心はそっと自分の頬に導いた。
        はにかみながら、彼女が微笑む。その表情をまた、うつくしいな、と思う。

        君と一緒なら、きっとこれから歩んでゆく人生の道程も、「美しい」と思えるような気がする。
        傷つけることと傷つけられることを繰り返してきた、こんな俺の人生も。




        「・・・・・・薫殿」
        「なぁに?」
        「ついてきて欲しい」

        どこへ、とは言わなかった。ごく小さな声で、ただ囁いてみた。
        薫は十字の傷を慈しむようにてのひらで包みながら、柔らかな笑顔で頷いた。







        「あなたに、ついていきます」














        beautiful life 了。






                                                                                          2015.02.17








        モドル。