信じる道を真っ直ぐに走ったつもりだった。
なのに悔恨が残った、罪の意識が残った。
愛した人がいた、その人を殺した。
心に身体に傷を残して、そして独りになった。
ひとりきりで、数え切れない朝と夜を越えた。
帰る場所を持たずに、流れてさすらって、それが一生続くと信じていた。
孤独のうちに、ひびが入って穴があいた心を抱えたままに。
青空の破片 あおぞらのかけら
「―――あれ?」
それは暗い中で僅かに外の光を反射して、頼りなくもきらりと光った。
先日京都へと帰った蒼紫と操たちが使っていた客用の布団を片付けるのに、普段はあまり使っていない押入れを開けた剣心は、その小さな光を見つけて
思わず手を伸ばす。
「割れた―――皿の破片かな?」
僅かに曲線を描く白い破片は、手のひらに握りこめるほどの大きさだった。
ひっくり返してみると―――こちらが表だろう、綺麗な模様が描かれている。
薄い水色の空を飛ぶ、赤い鳥の絵。
ちょうど、一羽の鳥の部分を切り取ったかのように割れたらしい。
「剣心、この枕も一緒にしまっておいて欲しいんだけれど―――あれ?どうしたの?」
廊下からひょこっと顔を出した薫が、押入れに首を突っ込んだまま何かを見ている様子の剣心に尋ねる。
「こんなものを見つけたんでござるが・・・・・・手を切らないように気をつけて」
身体を起こした剣心が、注意深く破片を薫の手に乗せる。と、薫の目が驚きに大きくなった。
「剣心・・・・・・!これ、どこにあったの!?」
「え?押入れの中の、奥の柱の隙間に嵌っていたでござるが」
薫は、ほぅとため息を吐いた。
「押入れかぁ・・・・・・確かにちっちゃい頃、もぐりこんで遊んでたもんなぁ」
破片を懐かしそうに見つめていた薫は、顔をあげて剣心に笑顔をむけた。
「ありがとう剣心!これ、小さい頃わたしがなくしたものだわ!」
頬を桜色に染めて笑う顔は、つられて剣心も笑顔になってしまうような、そんなあたたかさにあふれていた。
「それ、皿の欠片でござるか?」
「そうなの、あ・・・・・・ちょっと待ってて!」
薫は何か思いついたように立ち上がり部屋を出て行ったが、すぐに平たい箱を手に戻ってきた。
箱にかけられた朱の紐を解いて、そっと蓋を開けると―――中にあったのは、割れた、一枚の大皿である。
「母さんが、お嫁に来たときに持ってきたお皿なんだって」
いくつもの欠片になった皿は、綿の敷き詰められた箱の中に、きちんと元の形がわかるように納められていた。
そして皿には、模様が描かれていた。
晴れた青空を飛ぶ――― 一羽の青い鳥の絵が。
「・・・・・・あ」
青い鳥の隣の部分は欠けて、ぽっかり穴が開いている。そこに、この赤い鳥の破片がはまる事に気づいて、剣心は納得の声を漏らした。
「わたしも母さんも、このお皿が大好きだったから、割れちゃってからも処分せずにね、こうやってとっておいたの。でもわたし、この模様の鳥がとても気に
入っていたから―――時々取り出しては眺めていたんだ」
小さな手で破片を持って、飽きずに見つめている幼い薫。剣心はその姿を容易に想像することができた。しかし―――ある日薫はその鳥の破片を、失くし
てしまった。
「母さんには怒られたなぁ。なくしたことにじゃなくて、持って歩いて手を切ったらどうするの、って」
心配かけちゃったわ、と薫は苦笑する。
「それからずっと、気になっていたの。この青い鳥、独りのままで寂しいだろうな、って」
薫の細い指が、生きているものに触れるように優しく動く。
かちゃ、と軽い音をたて、破片が在るべき場所にはまる。赤い鳥は青い鳥の隣に、幾年ぶりかに並んだ。
「よかった・・・・・・これで二羽、揃ったわ」
「嫁入りの品ということは、この鳥は夫婦でござろうか」
薫は「そうね」と嬉しそうに頷いた。白い指が、慈しむように二羽の鳥をなぞる。
その仕草を見ながら、剣心は思いついたことをそのまま口にした。
「・・・・・・この赤い鳥は、薫殿でござるな」
え、と薫が少し驚いた顔で剣心を見る。
少し考えて―――かすかなためらいの後に唇を動かした。
「じゃあ、青い鳥は、剣心?」
「ああ、そうでござる」
するりと自然に返ってきた答えに、薫は目を丸くし―――そして、笑った。
ああ、その笑顔だ。
君のその笑顔に、何度救われてきただろう。
君が笑ってくれることが、君が帰りを待っていてくれることが、それが俺の生きる証になった。
彼女の笑顔にひきよせられたかのように、剣心は薫に寄り添うように、僅かに身体を傾けた。
「・・・・・・抱きしめても、いいでござるか?」
今度は、若干の躊躇の後に口を開く。
「いちいち訊かなくても・・・・・・いつでもそうしていいのに」
薫ははにかむように微笑んで、ことり、と額を剣心の肩に預けた。
その身体を、抱き寄せる。
肩口に彼女の頭を押しつけてぎゅっと腕をまわすと、すっぽりと薫がそこにおさまった。
このひとは、自分に抱きしめられるために生まれてきたんだと、そう信じてしまうくらい自然に、しっくりと。
目を閉じる。着物越しに、体温がじんわりと伝わってくる。
こうしていると、彼女が自分の身体の一部になってしまったようで―――
そうか、君は―――俺の、最後のかけらなんだ。
ひびだらけの、穴があいた心の中に何の迷いもなく飛びこんで、過去も傷も後悔もすべて受け止めてくれた。
ずっと前からこうなることが決まっていたかのように、俺の中の欠けた部分を満たしてくれるように、愛してくれた。
帰る場所を持たずに、流れてさすらって。それが一生続くと信じていたけれど、今ならわかる。
独りきりで沢山の朝と夜を越えてきたのは、君に辿りつくための旅だったんだ。
「・・・・・・薫殿」
「なあに?」
「ずっと、こうしていても、いいでござるか?」
「・・・・・・だから、いちいち訊かなくてもいいんだってば」
「じゃあ、一生でも?」
薫が、驚いたように僅かに身じろぎをした。
離れてしまわないように、抱きしめる力をより強くする。
「一生ずっと・・・・・・こうしていても、いいでござるか?」
束の間の沈黙の後、薫の頭が頷くように動いた。
「・・・・・・はい」
泣いているような声だった。
胸に伝わる彼女の震えとともに、剣心は身体じゅうが暖かいもので満たされてゆくのを感じる。
愛してる。
君を愛しているよ。
君は欠けてしまった俺を満たしてくれる、ただひとりのひと。
了。
2016.10.23
モドル。